豊橋ホスピスを考える会

豊橋ホスピスを考える会

ごあいさつ

市民ホスピスへの道を歩んで

豊橋ホスピスを考える会会長 佐藤 健

「死への準備教育」「死の哲学」で著名な故アルフォンス・デーケン上智大学名誉教授が「生と死を考える会」の活動を提唱され、多くの市民に呼びかけられ、全国各地に「生と死を考える会」が創られていきました。1994年豊橋にもこの呼びかけを受けて、地元のホスピスを願う主婦や看護師が集まって「豊橋ホスピスを考える会」が結成されました。そして、ホスピスに関わる著名な方々をお招きした講演会などの活動を行っていました。

私は外科医として1991年に国立豊橋病院に着任し、がん治療に取り組んでいたましたが、当時のメンバーからホスピス運動への協力を依頼され、1996年9月にカリオンビルで「がん治療=根治不能とされたときから終末期の医療とは」という講演をさせていただきました。当時まだ会では講演会を開いても、人を集める組織活動もできず、著名な講師を招いた講演会といっても10名に満たないほどの聴衆しか集まらない集会しか作れませんでした。自分が講演するにあたり、人を集めなければ意味はないと考え、私の講演会は地域の住民の組織活動、宣伝活動からスタートしました。こうして私は「豊橋ホスピスを考える会」の仲間に加わり、多くの講演会を行うようになりました。この時から年6回の「癌の緩和医療」定期公開学習会も開始し今でも継続しています。こうして豊橋にホスピスを創ろうという運動を始め「ホスピスの似合う街=ふれあいのある豊かな街へ」というテーマが次第に出来上がっていきました。ホスピス・緩和ケアは理解されず偏見も強い時代でしたが、講演会を重ね地域の啓発活動を少しずつ進めていきました。

国立病院にホスピスを創ろうという当時の厚生省に向けての請願署名活動も行い、13万筆を超える署名を集めました。そして2005年に開設された国立病院機構豊橋医療センターに24床のホスピスが開設されました。地域の医師会、病院、学校、様々な団体や一般市民向けに多くの講演を行い、沢山の学会発表、テレビ、ラジオ等に出演、本の出版、全国大会の開催などのホスピス運動を展開しました。医療センターの18年間で7000名近い患者のケアに当たり9000件を超す入院ケアを担当してきました。途中48床に増床し、年間入院患者数が日本一の年度を6回も記録する(日本ホスピス緩和ケア協会加盟施設統計の年度毎報告より)、全国有数のホスピスに育ちました。

この間、新潮社から「緩和ケアでがんとともに生きる」「ホスピスという希望」、春秋社から「さいごまで『自分らしく』生きるために」を出版していただきました。また「第33回日本死の臨床研究会年次大会」と2回の「生と死を考える会全国協議会全国大会」の大会長をさせていただいたことも、豊橋のホスピス運動の発展に大きく寄与したと考えています。

ホスピスを取り巻く環境は20年前とは大きく変わってきています。ホスピスの数は増え,診療報酬改定に伴い急性期型、療養型の2つのタイプに分かれてホスピスの形態が発展してきています。しかし、ここに来てのコロナ禍はホスピスの在り方に大きな影を落としました。この間に全国の1割のホスピス・緩和ケア病棟が閉鎖、休棟やコロナ病棟への転用に追い込まれました。面会の禁止や制限のため、在宅ケアの期間の無理な延長などホスピス緩和ケアの形態も大きく変化しました。ボランティアの参加も中止となり、講演会も開けず、「豊橋ホスピスを考える会」の市民運動も一時休止となりました。本当に我々医療者にとってもとても辛い期間でした。

またこの間に多くのことがありました。私は2023年3月31日で国立病院機構豊橋医療センターを定年退職し、長年築きあげてきたホスピスに別れを告げることとなりました。そして同年4月1日より成田記念病院に移り、豊橋に二つ目の新たなホスピス建設を進めることになりました。成田記念病院の7階混合病棟で緩和ケアを開始し、豊橋・豊川市民病院はじめ地域の医療機関にホスピス開始の挨拶回りをして積極的な患者紹介をお願いしました。国立病院の枠から離れ、民間病院の自由な可能性の中で、今までの経験を土台に新たなホスピス像を模索し、夢は膨らみました。ホスピス・緩和ケアは人と人とが向かい合い支え合う場所です。建物ではなく医師、看護師の存在が重要です。長年の私の同志といえる看護師も行動を共にしてくれました。その意味では以前の医療センターと同じ緩和ケアは新ホスピスに引き継がれ、成田記念病院の若いスタッフを教育し、これをさらに発展させるよう努力しています。また建物のことでも成田記念病院は豊橋市の中心地域にありますので、ホスピスが街の中心地にできたというメリットは大きいと考えます。

そして2023年11月には成田記念病院最上階9階全フロアを改装して認可を受けた緩和ケア病棟がオープンしました。二つ目のホスピスが発進して1年、形はできてきました。豊橋を新しいホスピスの街にする、その挑戦が始まりました。そのステップとして豊橋ホスピスを考える会30周年記念事業として、生と死を考える会全国協議会2024年度全国大会イン豊橋を開催します。宜しくお願い申し上げます。

豊橋のホスピス運動は新しいステージに入りました。コロナ禍の明けようとする今、講演会活動は再開され、豊橋ホスピスを考える会の仲間たちも、新ホスピスの建設に燃えています。長年一緒にホスピスをやってきた同志ともいえる看護師たちもいます。新しい病院のスタッフたちもホスピスを創りたいという意欲を持って勉強し熱心に取り組んでいます。このみんなの強いエネルギーは、きっと良いもの創り出すと確信しています。豊橋ホスピスを考える会は、これからも市民ホスピスへの道を歩んでいきます。